なるの渡米記−その1
| <アメリカ行き決定の巻> 人間そこそこ長く生きてて海外旅行好きとくれば、大概の観光地には足を踏み入れている ものだ。 しかし、「アメリカ合衆国」というところに私は足を踏み入れたことがなかった。 なぜなら、これはもう偏見以外の何物でもない理由からである。 アメリカ→歴史ない→どうせ見るモノない。 アメリカ→銃社会→危険 きれいなお城と教会と美術館が観光の必須条件の私は、海外と言えばヨーロッパばかりに 目を向けていたのだ。 海嫌いのため、当然サイパンにもグアムにも、とにかくアメリカの領土を踏んだことはな かった。 今更だが、自己紹介。 ハンドルネームなる、兄弟は兄が一人。 不肖の兄は仕事柄、よくアメリカに出張していた。 話は春にさかのぼる。 やはり米国出張中の兄の留守に、義姉が子供たちと我が家へ遊びに来た。 「実はアメリカ転勤、決定なんですよ。」 「は?」 小市民の我が家に、その爆弾は落とされた。 しかも、家族は置いて単身赴任だと言う。 それから、すったもんだとしているうちに、あっという間に夏が来て、兄はさっさと赴任 してしまった。 赴任後、すぐに夏休みがやってくる。 そしたら、子供たちも義姉も行きたいのは当然だ。 しかし、兄の町はアメリカで国内線に乗り換えなくてはならない。 義姉は新婚旅行以外で、海外に行ったことがない。しかも、小さな子供(長女7歳、長男 5歳)を二人も連れて、初めて一人で海外なんて… 長時間の機内に耐えられるだろうか?空港でどっかに行ったりしてしまわないだろうか? それ以前に、出入国や乗り換えの手順、何度説明してもらっても見たこともやったことも ないものは、不安だ… 「なるさん、一緒に行きませんか・・?」 義姉からの電話。 そして、我が父の結論。 「おまえ、一緒に付き添って行け。」 こうして、初の渡米が決定した。 <シカゴ空港、初めての経験の巻> 1999年8月5日。 くそ暑い東京を離れる日がやってきた。 しかし、アメリカも涼しいとは言いがたいらしい。 その頃のニュースは連日、アメリカの猛暑を伝えていた。イリノイ州では人も死んでいる。 NEX内で義姉たちと落ち合う。空港まではお守りがてら、我母がついてきている。 そう、子連れ。今回のポイントはこれに尽きる。したことないもん、子連れ旅なんて。(当 たり前だ) 子連れ旅行機内持ちこみ必須アイテムとして、 薬、水、お菓子、お絵かきセット、お気に入りのぬいぐるみ、バスタオル、ねんねグッズ (ライナスの毛布にあたるもの)、最悪の場合を想定して代えの下着。 結構な荷物だ。 飛行機はユナイテッド。シカゴで乗り換え、オハイオ州のデイトン市まで。 シカゴでの乗り換え時間は、1時間半ほどある。 成田空港にて出発まで、I-94を記入する。(*I-94とは、ビザ免除の入国書類である) 義姉は子供たちの分も書くのでけっこう大変だ。 そーこーしつつ、時間になったので登場ゲートへ。 座席は一番後ろの4人席。大人で子供二人を挟むように座る。 トイレは近いし、後ろの席を気にしなくていいので、子連れには良い席だと思う。 25分遅れぐらいで、無事離陸。 危惧していた、機内での子供の様子はおとなしいものだった。 車に乗りなれているからかもしれない。食事とトイレだけ手助けしてやれば、めいめい機 内でもらったゲームやらお絵かきで遊び、夕方便だったせいか早々に寝入ってしまった。 たいしたこともなく、シカゴ空港に30分遅れで到着。 その時の私は、乗り換えの事で頭がいっぱいだった。なにせこのために私は来ているよう なものだ。今までトランジットはした事はあっても、国内線に乗り換えた事はないのだ。 (入国したら、荷物を1回ピックしてユナイテッドのコンベアに乗せて・・入国したら荷 物…) ぶつぶつ考えながら、イミグレーションの列についた。 (ええと、入国したら・・) 待つ。待つ。待つ。 全然、列が進まない。一人あたり、異様に時間を食っている。しかもどう見ても身なりの 良いビジネスマン風の東洋人ばかりなのにだ。 「あんなに色々突っ込まれたら、私答えられない・・」 両肩の<責任>の2文字を感じつつ、時計を見るとそろそろ30分前… これって、まずいんじゃあ・・? となりのUS市民のレーンはがら空き。こちらの心の動きを知ってか知らずか「こっちでや ってもいいよお!」との案内。まっさきにダッシュして一番に窓口へ。 なんの事はない、5分もかからずに入国審査完了。 あとでわかった事だが、私の乗ったユナイテッドはソウル始発成田経由だった。 始発でなかった為に、成田での出発が遅れ、入国窓口で時間を食っていたのは韓国の人々 だったらしい。(人種的偏見ではもちろんない事をご了承ください。乗っていた日本人客の ほとんどは観光客であり、韓国人の多くは商用と見受けられました。アメリカは観光での 入国は簡単ですが、ビジネスとなるとめっちゃうるさいらしいです。なんと兄の会社の人 で入国できなかった人が居るらしい。) 今後、飛行機をとる時は日本始発かどうかのチェックが必要だとしみじみ思…ったのは後 日の話で、今はそれどこじゃーない。 すでにレーンからおろされていた荷物をピックして、税関へ。 ここで、なぜかユナイテッドとアメリカンエアーの出口が分かれている。 乗り継ぎの人(わたしらのような)の為だ。 税関を出て少し行くと、ベルトコンベアがあって係員が居る。 このコンベアに荷物を乗せれば、あとは行き先別に機械的に振り分けてくれる。 搭乗ゲート確認。おし!と、子供の手を離さないように歩き出す。 しかし、ここで私はひとつの勘違いをやらかしていた。 シカゴ空港はターミナル1〜5まで(4は工事中)の巨大な、世界最大の空港だ。 航空会社ごとに大体ターミナルが決まっており、ユナイテッドはターミナル1を主に使用 している。 私は自分がターミナル1に居るものと思い込み、ゲートフロアでゲート番号を見たが、な い。 発見した空港の案内図を見る。 「がが〜ん!!ここって、ターミナル5??」 私は一番離れたターミナルに居た。 ターミナル間はモノレールでつながっている。こっちがいらいらした所でモノレールが早 く走るわけじゃなし。子供たちはのん気にモノレールに乗れて大喜び。 しかし、そのとき私の目はかなり怖かったはずだ。 やっとターミナル1の駅に着いてボードを確認すると、すでに搭乗が始まっている。 あせあせとセキュリティに行くと、これがまた並んでいる… そして、こういう時に限ってありがちな話だが、搭乗ゲートは一番遠いところにあった。 (ターミナル1は2つのビルからなっており、地下通路を通って隣のビルに行き、その一 等はじに目指すゲートがあったのだ。ちなみに、ターミナル1のビルひとつとっても成田 の第2ターミナルビルよりでかいことを保証する) セキュリティを受けた時、すでに離陸12分前だった。 走った。 とにかく猛ダッシュ。 子供の手なんか引いてられないから、走れ走れ攻撃でとにかく走らせる。 私は先頭を走りつつ、時折振り返ると子供たちはわけも分らず必死の形相。 いや、多分こっちも必死の形相だったのだろう。 「先、行くねーっっ!!」 とにかく、ゲートに行かなくては。 私はさらに猛ダッシュして、人を押しのけ(←大変失礼な事である。)ゲートに到着したの はまさに離陸予定時間。 そして、あっっと、思った。 (搭乗口が閉められてる!!?) カウンターに人の姿もない。 慌てて隣のゲートの係員を捕まえ、あの飛行機に乗るのだと言うと、さすがに驚いた顔で 機内に電話。 すぐに扉が開いて、係員が出てくる。「さあ、乗って!」と、言われても… 家族がまだ来ていない事を言うと、「どこに居るの!ドアはもう閉まってんのよ!」 そ、そんな事言ったって〜。 とにかく、ちょっと待ってよ…と、振り返ると文字通り肩で息をしながら義姉と子供たち 到着。 子供たちを見て、仕方ないと思ってくれたのか、係員や乗務員に謝りながら乗りこむと 「気にしないで。」と、皆笑顔…しかし、機内の人々の視線は冷たかった…・ そりゃ、悪かったよ。でも、私たちのせいじゃないし・・ チェックインを済ませてるのに、飛行機のドア閉められちゃうって一体…・・ しかし、今まで飛行機に乗り遅れそうになったり、ぎりぎりだった事は何回かあるけど 閉まったドアをあけて乗せてもらったのは、さすがの私も初めてだったざんす。 何事もなく、小さい飛行機はDAYTON空港へ到着! 搭乗ゲートまで人が入ってこられるので、降りた所で兄が同僚と待っていた。 「パパーっっ!」 と、子供たちが抱きつきに走ってった所で私の肩の荷は半分になった。 やれやれとシカゴでの顛末を話しながら、ラゲージレーンへ。どれくらいの荷物か分らな かったので荷物が車に乗りきらない場合を考え、同僚にも来てもらったのだと言う。 和気あいあいの家族の前をレーンは流れて行く。流れて行く。流れ…そして止まった。 「………」 「人間が猛ダッシュしなきゃ間に合わない飛行機に、荷物が間に合うわけないよなあ・・」 ごもっとも。 結局兄の同僚は何をしに来たのか分らないまま、空手で帰り、私たちはとっても身軽に兄 のアパートへ向かったのだった。 <がんばる!ユナイテッドの巻> 兄の部屋は、単身者や子供が一人くらいの人々が住むいわゆる集合住宅の中にある。 緑の多い敷地内に、小さな湖が二つ、テニスコート、プール、ビーチバレーコート、そし てアパートが幾棟か建っている。 すでに夜だが、まだ外は明るい。 とにかく、荷物がいつ届くか分らないので当座のパジャマや下着などを買いに行くことに なった。 このあたりがヨーロッパと違うところで、夜中でもなんでもスーパーがあいていると言う のはやはり便利だ。 とりあえずの買い物を済ませ、作るのが面倒なので適当にインスタントのものを食べ、 ともかく寝ることになった。 兄の部屋はいわゆる1LDKである。 敷地面積だけだったら、日本の3DK団地サイズより悠々としている。 キングサイズベッドなので、夫婦はそこに。子供たちはエアマットを寝室の床に、私はリ ビングにエアマットを敷いてそこが滞在中の私の寝床になる。 このエアマット、セミダブルの大きさでベッドのようで非常に寝心地がよい。 まあ、ともかく着いたわけだし…・ と、うつらうつら数時間は眠れたのだろうか? いきなり電話の音で目がさめた。 電話はリビングと続いているキッチンにある。 ボケボケの兄の声がする。部屋番号を告げている。 兄がリビングに入ってきた。 「何〜?」 さすがに私も起き上がる。 「荷物、届いたって。今、家の前にユナイテッドが荷物持って来てる。」 あ?今、何時? 「朝の4時だな。」 恐るべし、ユナイテッドエアライン。 多分、荷物がDAYTONに届いたので大急ぎで持ってきてくれたのだろう。(空港から家ま では車で20分くらいである。) 電話なんかしてる間に、持って行ってやろうぜ!と、ばかりに。 働き者なのはいいが… その後数時間して兄は出勤していった。リビングで寝ている私は起きて見送り、かぎを閉 めた。 義姉と子供たちは撃沈したまま、浮上できなかった。 そして、私もその後沈没し、兄がフレックスで帰宅する昼まで意識を失っていたのである。 その2へ |